魂循環論 人は死なない 〜 転生の真実

前世がアメリカン・インディアンであるとか、前世がゴキブリだとか、霊能者や占い師が前世を告げるシーンを見かけることがある。大抵の宗教が、徳を積まないと天国に行けないであるとか、信じれば天国に行ける、中にはジハード(聖戦)で異教徒を殲滅すれば家族と共に天国で幸せに暮らせる、などと信徒に解いている。このように誰しもが、今世だけでなく、前世や来世を意識する瞬間があるだろう。

今世、前世や来世、その3つの世の中を生き続けるエネルギー体こそが、「魂」であると私は考えている。

誰しも肉体が生涯を終え、葬られると肉体は自然に還り、魂は霊魂となって漂う。さまざまな宗教においても、魂は天国や地獄に召される。これが一般的な生と死、そして肉体と魂に対するセオリーだろう。しかし、私は親の影響で3つの宗教団体を経験し、更には東洋占いに触れ、母方から伝わる霊感体質と相まって、ある仮説にたどり着いた。ある宗教家は、「魂の結集」などと言い表していたが、これに算命学理論を加え発展させ、魂の継承について掘り下げた。それが「魂循環論」である。算命学では魂については定義がされておらず、因縁や恩徳との整合性について課題が残るが、算命学学習者の中においても、疑問が晴れる者もいると期待している。

1.      魂の定義

漢字は、物の本質を長い年月をかけて形にしたと、筆者は考えている。「魂」は、「云」と「鬼」に分解される。「云」は「いう」で、「ここにある」のような意味で、「鬼」は「人に従う、鬼頭をかたどった、陰の気のようなもの」と言われている。従って、「魂」とは、「ここ=肉体」に従う「陰の気」ということになる。

また魂について考える時に、関連する「命」についても触れる必要がある。命について辞書を引けば、「仏教では生まれてから死ぬまでの時間、生物学では細胞が正常に働いている状態、一般論では人間が生きていくために最も大切なもので祖先から受け継がれているもの」と記されている。直感的に人間や動物には命はあるし、植物は動かないが命を感じる。果実は収穫した後であっても命を感じる、種子についても生きているように、命があるように思えてならない。

東洋占星術では、物事は対となる2つの性質を持ち合わせるという、陰陽論を重視している。例えば、陰と陽、女と男、夜と昼の様に相反する性質のペアだ。当てはめて「魂」のペアを考えると、「肉体」と言えるのではないだろうか。算命学では、虚と実というペアがあるが、当てはめれば、「虚が魂」で「実は肉体」と言えるだろう。

体   = 実

魂   = 虚

ある意味、「魂を物質化したものが肉体」であり、肉体が生存する間は、「肉体を繋ぎ止める精神エネルギーが魂」と、私は考えている。

命   = 魂 + 体(肉体)


続きは、Noteにて有料公開しています。興味のある方は、ご購読をお願いします。

こちらから

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA