中尾彬さん

中尾彬さんが急逝されました。
ご冥福をお祈りしつつ、緊急で宿命を確認していと思います。

中尾彬さんの宿命

目を引くのは陽占の鳳閣・調舒星が4/5配置されていることです。準鳳蘭局に加えて食局の星にあることが分かります。
一代で財や名誉をなし、一代で終わっていくスケールの大きな人生を歩むと言われています。悪妻のほうが子宝に恵まれると言われています、おしどり夫婦で知られていましたあら、お子様に恵まれなかったのも納得できるものでもあります。
一般的に鳳閣・調舒星が2つあれば、芸術に傾倒していても不思議ではありませんが、4星あることから、芸術や哲学に情熱を注がない筈がありません。

Wikipediaによると

1961年に武蔵野美術大学油絵学科へ入学する。

1978年から絵画創作を再開して1978年に個展を2回開催した。フランスのル・サロン展で、1981年に「BUNRAKU・狂乱」が大賞、1982年に「COUNTRY・故郷」が国際賞、をそれぞれ受賞後は、定期的に個展を開催する。

とあります。

個展を定期的に開催され、アトリエも保有されておられました。
トレードマークのねじねじも印象的ですし、創造性を感じます。

中尾彬さんの後転運

大運を見てゆきましょう。

大運天中殺に3年前から入っていたことが分かります。
そればかりか、陰占の左側にある通り、月運・年運・大運と並べてありますが、すべて天中殺です。

大運天中殺に入り、最初の年運天中殺、最初の月運天中殺で亡くなったことが分かります。
この御年で、すべてが中殺されることは、辛かったのではないかと言わざるを得ません。

冥福をお祈り申し上げます。

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